うたたねモード

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友からの手紙

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先日、一通の手紙が届いた。

私信が届くことはめずらしい。

差出人は、年賀状を出していた同病の友だ。

 

友からは年明けに年賀状は届いておらず、何か事情があるのか、それとも年賀状はもうとりやめにしたのだろうと思っていた。

少しさびしさを覚えないでもなかったが、そのうち忘れてしまっていた。

 

その友から、思いがけず手紙が届いたのだった。

 

封を開けると、年賀状に対する礼、近況、わたしの身体への気遣い、そして再会の約束などが、明るい色の一枚の便せんに、きれいな文字でさっとしたためられていた。

 

友はわたしよりいくつか年下だが、周囲への細やかな気遣いのできる女性だ。

 

年賀状の礼を述べながら、年賀状ではなく手紙という形で返信が届けられたことへの言及はどこにもなかった。

もしかしたら、賀状を出せない事情があったのかもしれないが、それについて何も言及がないことは、こちらに何かしらの負担を感じさせないように、との彼女の気遣いのように思われた。

 

* * * * *

 

友とは、とある患者会で出会った。

もう10数年のつながりだ。

会合で年に1-2度顔を合わせるくらいにすぎないが、彼女に限らず、同病の仲間たちは、互いに思いを共有でき、いつも励ましを与えてくれる存在となっている。

そのつながりが何より、自分はひとりではない、という心強さをもたらしてくれていた。

 

そんな仲間たちの中でもひときわ友が印象的であるのは、その温和さ、心優しさ、美しい笑顔と、そこにのぞく微かな翳りのゆえだった。

 

患者会にはさまざまな人がいる。

同病とはいえ、病気の種類や程度、活動度、プライベート、それぞれに違っていた。

どちらかというと元気に普通の暮らしを送っている人が多く、会は明るく溌剌としたムードに包まれることが多かった。

それはとても楽しい歓談につながったが、一方で、持病による一定の制限を強く感じているわたしには、その明るさが時にまぶしすぎたり、ひとりだけ場違いな居心地の悪さを感じてしまう要因にもなっていた。

 

そんな中にあって、友は持病ゆえの悩みを臆することなく表明し仲間に問いかけてくる、数少ない人のうちのひとりだった。

 

会合の席を抜け出した化粧室でたまたま彼女と一緒になり、仲間を交えることなく話す機会があった。

短い時間でありながら、病のこと、気持ちのことを素直に語り合っていた。

彼女の目にわたしがどう映ったかは知らない。

だが席に戻る時にはもう、彼女はわたしにとって特別な友になっていたような気がする。

 

* * * * *

 

友とわたしは10数年前の同じ時期に、同じような手術を受けていた。

手紙には、術後10数年が経ち、これからどうなるのか、という先の見えない漠然とした不安を抱きながらも、真摯に向き合っていこうとしている彼女の言葉がつづられていた。

 

「またゆっくりお話ししたいです」

 

と結ばれた言葉に、彼女の美しくひたむきなまなざしが浮かぶ。

 

また友に会って語り合いたい。

みなと一緒に。そして二人で。

ひとことでもふたことでも。

互いの悩みや、長年の知恵を交換できたらいい。

 

友からの手紙は、またいつか会えるという再会の希望を運んできてくれた。

遠く離れたそれぞれの地で暮らしながら、一時、友に思いをはせる。

ひたむきな友を、心から応援したいと思う。